松下村塾は、天保13(1842)年、吉田松陰の叔父が萩の松本村に塾を開き、地名をとって名付けたのが最初です。松陰は安政元(1854)年3月、国禁の海外渡航を企てて江戸で捕えられ、翌年12月実家杉家に幽囚、そこの3畳間で親類の人たちに「孟子」の講義をしました。
翌安政3(1856)年8月、長州藩の許可で親類や近所の塾生に兵学の講義を始め、叔父の塾と合体し、松陰の主宰する松下村塾が始まりました。そのうち村塾の評判が次第に高まり、萩以外からも勉学に来る者があり、安政5(1858)年3月、塾生の控え室として増築したものが現存の松下村塾です。
松蔭は同年11月、「安政の大獄」を未然に防ごうと老中の襲撃を計画し、安政6(1859)年10月27日、伝馬町の獄で30歳で刑死しました。松陰が門人達に教授したのは約2年半になりますが、高杉晋作、久坂玄端、山県有朋、伊藤博文、品川弥二郎など、明治維新の原動力になった人物が輩出されました。
竹村氏の申し入れを受けて振興会は、松下村塾建築委員会を設置し、山口県萩市、地元大館市や多くの方々の協力を得て、現在地で昭和59(1984)年8月4日(吉田松陰誕生日)に地鎮祭を行い、同年10月28日、萩市の松下村塾と寸分違わぬ塾舎が竣工しました。
なお、竹村氏は建物の竣工を見ずして同年6月7日、83歳の生涯を閉じられたのは、誠に惜しまれることです。